【2016年5月】香川・高知Ⅲ(高知市街地)
Let's Go 高知!
意外に近いです。
まぁ、近そうに見えて1時間30分以上かかります。
渓谷チックなところも通ります。というか、ほとんど山間部です。
ここはどこだろうかと思ったら、「大歩危」でした。
「大歩危」と書いて「おおぼけ」と読みます。その隣駅は「小歩危(こぼけ)」があります。特急南風では「小歩危」は停まりませんが。
大歩危・小歩危と言えば、かずら橋で有名な祖谷渓があります。ちょっと降りて観光しようかと思いましたが、特急で高知までの切符を買ってしまったので、今回は断念します。
待ってろよ!祖谷渓!
さて、高知駅に到着しました。
高知市街地
まずは、高知駅からすぐ近くのホテルにチェックインし、市街地観光に繰り出しました。
はりまや橋
札幌の時計台、長崎のオランダ坂と並び、日本三大がっかり名所として有名です。
高知駅から大通りを南へまっすぐ少し歩くと着きます。
嘘です。1kmくらいあるので、思った以上に歩くことになります。
こんぴらさんを登り、特急で1時間30分以上揺られて身体を酷使していた身としては、少し疲れが出てくる感じです。
でも、歩いていれば、ちゃんと着きました。
ほぅ、これが、はりまや橋か・・・と思いました。特に川もないのに、橋が作られています。ただ、観光雑誌にあるはりまや橋とは違います。
脇を見ると、ちゃんとありました。雑誌に載ってるはりまや橋。
「え、ちっちゃ!」と思いました。
そもそも、現在はさきの写真にあげられたはりまや橋が活躍しているので、このはりまや橋はおかざりです。
ていうか、現在利用されているはりまや橋も別に川に架かっているわけではないので、単なるおかざりのような気がします。
つまり、あの赤いはりまや橋は、おかざりのおかざりです。しかも、あかざりのおかざりが滅茶苦茶小さいです。
札幌の時計台はそこまでガッカリという感じはありませんでしたが、はりまや橋は期待を裏切らないガッカリ感でした。
高 知 城
高知という地名は江戸時代前期に付けられた名前なので、戦国時代には高知城というお城はありませんでした。
しかし、四国の覇者である長曾我部氏が高知城の前進である大高坂山城に居住していました。
その後、関ヶ原の戦い以後、山内一豊が高知に行くことになり、大高坂山城に入城しました。この頃に河中山城(こうちやまじょう)と改名されたそうです。
まぁ、三方を川に囲まれた場所に位置しているので、そのような名前になったのでしょう。
そして、2代目の頃に、高知と表記を変えたとのことです。理由としては、やはり川に囲まれており、水害が多かったようです。なので、河の中という表記が縁起悪く感じたんでしょう。
現存天守閣12城の一つに列されています。なので、これで4つの城を攻めたことになります。
はりまや橋から西にまた1km以上歩くことになります。
途中に、立志社の記念碑もありました。
立志社は、自由民権運動の中心となった政治団体です。その中でも中心人物の一人である板垣退助氏の銅像もありました。
「板垣死すとも、自由は死せず!」とか叫んだ人です。まぁ、このときは死んでないんですけどね。本当に危機的な状況なら、そんなゆとりあることは叫ばず、「うわぁぁぁぁっ!!」と叫びそうなもんですしね。
そんな下らないことを考えている内に、高知城に着きました。
追手門と天守閣の競演です。ちなみに、追手門と天守閣が現存しているお城は、弘前城と丸亀城と高知城だけです。あとは弘前城だけですね。
中々に良きお城でした。
ひろめ市場
若干説明が難しいですが、飲食店とか雑貨店とかなんかお店がいっぱいあります。
地元民や観光客が沢山います。
文才が乏しく、説明ができないので、ここは写真に頼ります。
肖像権的な部分で多分に不安な写真です。
文句があれば、言ってください。削除の上、頑張って文才を上げて文章で説明できるようにします。
ひろめ市場の最大の特徴は、なんと言っても、高知特産のかつおが美味しく食べられることです。
写真に撮り忘れたカツオもあるんですけどね。
とても美味しかったです(小並感)。