【2014年8月】岩手(遠野)
きっかけ
昨年同様、親の帰省についていく感じで岩手まで行きました。
基本的に祖母の家で勉強したりダラダラしたりしていたのですが、一日だけどこかに観光に行こうという話になり、遠野に行くことになりました。
遠 野
遠野とは
「遠野物語」は、遠野に伝わる逸話、伝承等が記された説話集で、河童、座敷童、天狗といった比較的メジャーな妖怪の話があります。また、妖怪の他に、神様的な話や風習などの話も掲載されています。
河 童 淵
遠野で最も有名なのは、河童淵です。
河童淵は、常堅寺の裏に流れる川のことです。
遠野も一番といってもいいほどに有名なスポットなのですが、その実態は、お寺の裏手に流れる小川です。
今でこそ、小川に出る道がなんとなく作られていますが、昔はそんな道もなかったのではないかと思います。
そんな微妙な場所がどうして河童淵なのか。観光のために作った場所なら、もっと行きやすく、舗装された場所と通って行ける川にするべきだと思います。
なんであんな私有地のような場所が河童淵と呼ばれているのか。
個人的には、本当に河童がいたのではないかと思うのです。
天狗や河童は、妖怪として知られていますが、禁教令により迫害された宣教師だという説もあります。
宣教師はヨーロッパ人として、背が高く、鼻も高い。このような人が山に逃げると、天狗になります。
また、小中学生はザビエルの頭が禿げていることで、大人気ですが、あれは頭が禿げているわけではありません。「トンスラ」といって、宗教上の理由でわざわざ剃っているわけです。なので、宣教師はみな頭頂部を剃っていました。
まるで河童の皿のように。
そんなわけで、宣教師が河に逃げると、河童になります。
禁教令により都市部にいられなくなった宣教師が日本の奥地でもある岩手県の、更には遠野まで逃げたために、遠野で河童や天狗の伝承があるというのは一定程度説得力があるようにも思います。
話は変わりますが、江戸時代、寺は戸籍管理の役割も担っていました。キリスト教の信者を弾くために、住民は近くのお寺の信者になることを半ば義務づけられました。そして、その寺の信者として登録されることになりました。これが記載された文書を宗門人別帳といい、このような制度を寺請制度といいます。
これだけ聞くと、寺というのは、反キリスト教の中核市施設のようにも思います。
しかし、当時、寺は社会福祉施設的な役割も担っていました。生臭坊主や権威を笠に着るタイプの坊さんも勿論いましたが、このような役割を鑑みるに、現代の人権意識にも通じるような考えをもっていたお坊さんも当然いました。
常堅寺のお坊さんがどのような人だったのかは全く分かりませんが、現在に通じるような人権意識を持っていたところに、迫害にあってボロボロになった宣教師が逃げてきたらどうでしょう。
信仰の違いはあれど、匿って世話をしても何らおかしくはないように思います。
そして、そのような宣教師が裏手の川に出た際に、周りの住民が目撃して、河童と思ったというのは大いにありえるのではないかと思います。
もしかしたら、あえて河童という怪異が出ると喧伝して、人を近寄らせないようにしたもかもしれません。
ただの川なら、なんとも思いませんが、あんな寺の私有地のような川に河童の話があると、そんな感じで色々と考えざるを得ません。
そんなことを考えて、河童淵に入っていくと、変な釣り竿が目に入りました。
先端にキュウリがついていました。
釣り竿の取っ手を見ると、ふざけた注意書きがありました。
はい、名人とのことですので、是非頑張って捕まえてほしいです。
その他
この他、伝承園やふるさと村等、色々と行った記憶があるのですが、どうも写真が残っていません。
なんだかなぁと思いましたが、文章で埋められるかと思い、ブログにしました。
怪異の里というよりは、日本の原風景がそこにはありました。