【2015年11月】鳥取・兵庫・京都・滋賀Ⅰ(鳥取)
きっかけ
サンライズ出雲に乗って山口島根旅行したことを大学時代の友人N氏に言ったところ、その友達も乗ってみたいと言いました。
そこで、山口島根旅行後に温めていたプランを実行に移すときだと確信し、N氏をほぼ強制的に連行しました。
ちなみに、N氏は北海道旅行に一緒に行った友人です。
そんなわけで、鳥取へ行きました。
サンライズ出雲と鳥取の都市
サンライズ出雲
まずは、サンライズ出雲です。
2か月ぶりだね、サンライズ!
4人のシングルを取るのに比べれば、2人分のシングルをとるのなんて、なんともありません。
2階席だって取れちゃいました。2階席の窓は歪曲しており、空まで見える構造になっています。
この2階シングルに乗ってみたかったのです。
東京を22時に出たにもかかわらず、9時前には米子駅に着きました。
米 子
米子は鳥取第二の都市のくせに、寂れていました。
グルメ通りみたいな通りの入り口に大きな看板があったのですが、ラーメンの字が鏡文字になっていました。
一部分だけ逆になっているのが、また乙でした。
米子では、N氏が郵貯でお金をおろすのについて行った以外のことはしていません。
米子ですることなんかないですしね。
ただ、米子の郵便局はデカくて綺麗でした。あの町には似つかわしくないです。
倉 吉
すぐに乗り換えて、鳥取第三の都市である倉吉まで行きました。
ここで、明石に飛ばされている友達H氏を拾いました。
一緒に旅行に行こうと言ったら、普通に来てくれました。フットワークが軽いです。
倉吉は、笑っちゃうほど何もありませんでした。何が面白いって、この寂れ具合で、県内第三の都市になっているところです。
鳥取、すごいですね。
しかし、さすが第三の都市だけあって、レンタカー屋さんはあります。
そこで、レンタカーを借り、いざレンタカーの旅へ。
運転は、H氏に押し付けました。
三徳山三佛寺投入堂
険しき三徳山
投入堂は日本一行くのが危険な国宝といわれています。
どのくらい危険かというと、ここ十数年で死者が数人出ています。一人での入山は断られますし、12月から3月までは雪で危険なので、閉山してしまいます。
当然、雨や強風なら閉山してしまうので、雨の予報がなされていた当日も閉山しているかもしれないとビクビクしていました。
三徳山の駐車場に着くとパラパラと小雨が降ってきました。
絶望です。
しかし、歩いている内に雨はやみ、なんとか受付まで行きました。
周りを見ると、登山の格好をしたシニア世代の方ばかりでした。軽装の若者である我々は場違い感が半端ないです。
しかし、そんなことは気にせず、受付を済ませます。
階段をえっこらえっこらと登っていくと、登山道の入り口まで着きました。
そこで、登山道の受付の人に、「靴の裏を見せて下さい」と言われました。
見せると、「これではダメです。ぞうりを履いて下さい」と言われました。N氏も同様にぞうりのレンタルを受けました。
靴の裏が滑りそうな感じだと、登山の許可がでません。なので、滑らなそうなやつを履いてきたつもりだったのですが、それでもダメでした。
ちなみに、そこまで危険な場所に行くことをN氏には伝えていなかったので、ぞうりを履けと言われたN氏は唖然としていました。
それでも、「まじか!!」と言いながら付き合ってくれる彼には毎度感謝しています。
さぁ、登山の開始です。
前日の雨で、一瞬にして、ぞうりや足の裏はぐちょぐちょになります。
ぬかるみは半端ないです。
すれ違う人たちは皆、完全なる登山装備です。
そんな中、軽装の我々は、ゼーゼー言いながら、山道を登っていきます。
登るといっても、山道の斜面を歩いていくわけではないです。木の根や岩を掴んで、登って行きます。文字通り、登って行くわけです。崖登りの一歩手前です。
木の根を登るN氏です。
三徳山には、足を滑らせたら人生の終わりみたいなポイントが随所にあります。死者が出ても何にもおかしくない感じが凄いですよね。
20分くらいそんなことを続けていくと、もう一杯一杯です。
30分くらいすると、巨大な岩の上から鎖が垂れていました。ここにきて、鎖を登っていかないといけないらしいです。
鎖を登るN氏です。
文 殊 堂
鎖を登りきると、重要文化財に指定されている文殊堂に着きます。
文殊堂は岩場にせり出すように建っています。
文殊堂からの眺めは、さすがに素晴らしいものがありました。
桃山時代の建立されたと推定されていますが、詳しいことは分かっていないようです。
更に険しき三徳山
文殊堂を楽しんで、更に歩を進めました。
降りてくる登山客に「あとどれくらいですか?」と聞いたところ、「あともう二頑張りくらいですよ」と言われました。
まだ二頑張りしなければならないとは・・・。
なかなかの脅威です。
それから岩の上を歩いたり、木の根を伝ったりして。更に登って行きました。
気が付くと、かなり上まで行っており、眺めは最高です。
それから10分くらい歩くと、大きな鐘が吊るされていました。
鐘は鎌倉時代にはあったようです。こんなに大きな鐘をどうやって持ってきたのでしょうか。この21世紀になっても不明らしいです。ロマンですね。
謎は深まりますが、とりあえず、3人で順番に打ちました。
ものすごく響きました。
その途中、20代後半くらいのカップルとすれ違いました。どういう経緯を辿れば、若いカップルがあそこに行こうと思うのでしょうか。とりあえず、関西弁の女性はいいなと思いました。
投 入 堂
更に10分くらい歩いて、とうとう投入堂にまで着きました。
達成感が半端ないです。ものすごいレベルの達成感です。
あそこまでどうやって木材を持ってきて、どうやってあそこに建てたのでしょう。
修験道の開祖である役小角さんが建物ごと平地から投げ入れて建立したという、とんでも逸話があります。だから投入堂と呼ばれているわけです。
まぁ、そんな逸話はさておき、鐘と同様、どうやって造られたのか、なぜ造られたのかが全く分かっていないらしいです。
不思議すぎます。
2002年の調査で初めて、科学的にも平安後期に建立されたことが分かったそうです。それでも、建立の方法も動機も分かっていません。
まじでロマンが溢れます。
ひとしきり満足したので、下山しました。
三徳山下山
下山は登山とは違う難しさがあります。
足首にかかる衝撃がすごいです。なにせ、わらじですからね。
たまに、すれ違う登山客にわらじの性能について聞かれました。
大したことなさそうに、「意外に滑らないですよー」と答えます。強がりです。
確かに滑らないですが、足はぐちょぐちょになるし、衝撃は直に来るし、大変でした。
やっと、そろそろ終わりかなと思ったころ、おじさんたちの集団とすれ違い、「あとどれくらいですか」と聞かれました。
「やー、まだ3分の1もいってないですねー」と素直に答えたところ、彼らを絶望の淵に追い落としてしまいました。なんだか、ザワザワしていました。
こちとら、もうすぐで終わりだと思っていましたので。
しかし、まだまだ着きません。
あの人達が残り3分の1以上と聞いてザワザワした気持ちがよく分かりました。
しかし、嘘はついていません。
惰性で下って行くと、やっと、やっとの思いでスタート地点の受付に着きました。
素晴らしい達成感です。
しかし、山道を下りきったところで、駐車場に行くには多くの階段をおりなければなりません。
みんなで足がガクガクになりながらおりました。
達成感は半端ないですし、中々面白かったです。
人生で一度は行くべきだと思いますが、もう二度と行かないような気がします。
豪雨に阻まれた鳥取観光
車に戻り、白兎海岸に向かっている途中、豪雨が降ってきました。
間一髪でした。我々が下山している途中にすれ違った人達は大変な目にあったと思います。
この雨の中で白兎海岸に行きましたが、何も面白くはなかったです。車から見て終わりました。
雨が止むことを願いつつ、鳥取砂丘に行きましたが、願い叶わず雨は強いままでした。
お腹が空いたので、近くの海鮮丼屋に行ったのですが、全然雨は止みません。
あの雨の中、折りたたみ傘をさして砂丘に行くのも躊躇われたので、砂丘には行かずに車で鳥取駅に向かいました。
思えば、2015年の旅行で雨が降らなかったことは一度もないです。超雨男なのかもしれません。
鳥取といえば砂丘なのに、ろくに見ることができず、少し切なくなりました。
鳥取駅で車を返却して、次の目的地に向かいます。
ちなみに、鳥取駅周辺は、鳥取県第一の都市だけあって、さすがに中々大きかったです。