【2013年3月】伊勢神宮~京都Ⅳ(内宮)
宇治橋
この外側の鳥居は、元々、外宮の棟持柱であった材木を再利用して作られました。そして、この年は式年遷宮の年なので、そろそろお役御免となります。
ただ、そこで廃棄するわけではなく、今度は桑名の七里の渡しの鳥居として第3の人生を送ることになります。なので、この鳥居は今頃、七里の渡しに屹立していることでしょう。
もう少し良い感じで撮って神々しさみないなのを醸し出したかったのですが、人があまり写らないように撮ろうとすると、こんな感じのアングルにするのが精一杯でした。カメラ技術を身に付けたいです。
神宮に流れる川ということで、ここらへんはかなり整備されていますね。
手前に立っている杭が何かいまいち分かりませんが、式年遷宮に合わせて橋を新調するための土台なのかもしれません。
宇治橋の終わりです。
こちらの鳥居は内宮の旧正殿の棟持柱が再利用されています。こちらもそろそろお役御免となりますが、やはり廃棄するわけではなく、今度は鈴鹿峠の麓の関の追分の鳥居として第3の人生を送ることになります。
うーん、やはり、神々しさが出せないです。
別 宮
別宮まで
ちょっと歩くと、また橋と鳥居です。
wikipedia調べでは、鳥居とは、「神社などにおいて神域と人間が住む俗界を区画するもの(結界)であり、神域への入口」であるとのこと。
でも、これだけ鳥居があると、どこが入口で、どこが出口か訳が分からなくなります。入口も出口も分からなくなった挙句、結界の中で迷子みたいな、そんなすぐに打ち切りになりそうな漫画の空想をしてみたり。
この鳥居をくぐると、五十鈴川の川べりに出ることができます。ここも単なる川べりではなく、「五十鈴川御手洗場」という味気がなく単調ではあるが、なんとなく仰々しい名前がついていたりします。
まぁ、3月は冬ですし、木々は寂しく、なんとなく寂れた印象は否定できませんね。
ただ、川自体はとても綺麗でした。
風日祈宮
五十鈴川御手洗場を東上し、鳥居をくぐると、右手に更に鳥居があり、橋がかかっています。
小さい橋であり、なんだかとても趣があります。拙いカメラ技術でも、宇治橋に比べれば、なんとなく神々しさを醸せたような気がします。
橋を渡ると、風日祈宮(かぜひのみのみや)という黙読すら難しいような別宮に行けます。
読む際のポイントは、「かぜひ・のみのみ・や」と区切ると読み安いです。ただ、ばちがあたるような気もします。
級長津彦命(しなつひめのみこと)と級長戸辺命(しなとべのみこと)という5秒後には忘れてしまいそうな名前の神様を祀ったお宮です。
どっかで聞いたような説明ですね。そうです、外宮の別宮にあった風宮と同じ神様を祀っているわけです。
この神様は、風雨を司る神です。雨風は農作物に大きな影響を与え、ひいては人の生活に多大な影響を与えるので、正宮に準じて祀られているようです。
風日祈宮と風宮との関係はどうなんでしょうね。同じ理由で同じ神様を祀っているなんて、無駄なような気がします。
荒祭宮
橋を戻り、更に東上します。神楽殿をスルーし、左手の細い坂道を登ります。なんか、小さな倉みたいなのがありますが、これもスルーして進むと、荒祭宮に到着します。
荒祭宮は、天照大御神荒御魂(あまてらすのおおみかみあらみたま)を祀っています。
外宮のところでも、荒御魂というワードがでてきましたが、神様の御魂のおだやかな働きを、「和御魂(にぎみたま)」と言うに対し、荒々しく格別に顕著な神威をあらわす御魂の働きを、「荒御魂」と言います。
天照大御神の、格別に顕著な神威をあらわす御魂を祀っていることからも分かるとおり、中々すごい別宮なのです。
そんなわけで、神宮の中で合計10別宮ある中でも一番偉い別宮だったりします。てか、別宮の数え方が分かりません。「柱」でいいのでしょうか。
別宮は合計で10別宮あるわけですが、月夜見宮からも分かる通り、綺麗に外宮や内宮の中にあるわけではありません。なので、この旅て訪れた別宮は6別宮になります。
今再びの邂逅
荒祭宮を後にすると、また、人だかりがありました。
一体今度はどの皇族が来たのか・・・・・・。
またしても、秋篠宮家!!!
紀子様も佳子ちゃんも超カメラ目線!!!
いただきました!!!
正 宮
正宮には、元旦の初詣かというくらい、めちゃめちゃ人がいました。
あの通りの奥に正宮の入口がありますが、一般人は入口の奥に入ることができません。
問題なく入れる秋篠宮家が羨ましかったです。
入口には、白い布が垂らされており、風に舞い上がることで入口の奥がチラチラと見えました。
そういう演出がより神格化っぽい感じを醸し出してきました。
正宮の横には、雰囲気をぶち壊すような工事中のシートもありました。
式年遷宮に備えて、新しい正宮が工事中だったようです。
いまでは、こちらが正宮になっていることでしょう。
その後、おかげ横丁をぶらぶらして京都に行きました。
全体的に、実際に遷宮される直前のお社だったので、神宮の中でもかなり年季の入ったお社を見ることができました。